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インタビュー/中土井僚
インタビュアー 遠藤恭子

今―りょうさんが伝えたいこと

未来のビジョンが見え、一番の元になっていた父親との関係もクリアになったりょうさんには、私の想像の範疇を遥かに超える出来事が起きはじめていた。平たく言ってしまえば、りょうさんがMLで宣言したことの共鳴=奇跡的なことがそこかしこで起こると同時に、りょうさんの持つメンタルモデルが今まで以上に敏感になり、刺激されたときの反応がその場で体に影響が出るほど、顕著に現れるようになった。
そのりょうさんの体験談から話は膨らみ、私の収拾のつかない方向へとどんどん展開していく…。
(以下インタビュー形式)


人間の認識の限界

りょうさん「一言で言うと、“なんじゃこりゃー!!”という状態。僕は、クリアになったら奇跡的なことが起こるとは知っていました。だから早くクリアにすることは大事だなって思ってたんですが、クリアになっていないことのインパクトも同時に起こるとは知らなかった。それが一番驚きましたね。父親との関係が完了したらバラ色の人生が訪れると思ったのに、いざ手放してみると、自己管理がすごい大変(笑)。もうびっくりしました、本当に。瞬間的に胃が痛くなったり、左耳が聴こえづらくなったりと自分の体にこんなに反応が出るのもびっくりしたし、周りの人に影響するっていうのも驚いた。

僕の尊敬している師匠の方たちが、自分をクリアにすることをすごく大事にされているんです。それが彼等が果たそうとしている責任の一環だというのは、僕も知ってはいました。自分が幸せになりたいからやっているのではなく、自分がクリアでいることが、どれだけ世界にとって大切かというのがわかって実践しているのが見てとれた。でも、それが一体何を意味するのかはわかりませんでした。(最近になって)こういうことかー…えらいところに踏み込んだな、と思っています(笑)。」

おきょう「さっそくついていけません(笑)。直接見えないところでもつながっているっていうことでしょうか。そう言えば、最近ほんの少し芽生えた感覚があるんですが、「自分は“遠藤恭子”という個性ある独立した存在であると同時に、何か大きなものの一部なんじゃないか」と思うことがあって…。」

りょうさん「ほんとにその通りだと思う。と同時に、実はそこには人間の認識の限界みたいなところがあって。もともと宇宙はエネルギー体だから、本当は一つのはずなんです。一見、物理的に離れているように見えるけれど、実は高分子、分子、原子っていうふうに物質を分解していって素粒子の世界になると、全部が粒であり波であると言われています。だから、僕とおきょうちゃんも、一見分かれているように見えるけど、素粒子の世界では一体化してるんです。
MLで僕が紹介した『シンクロニシティ』に出てくる表現の一つに「内蔵秩序」というものがあるんですが、それは、全体は全体として部分を持っていると同時に、部分は部分で全体を包含しているっていうことを言っているんですよ。自分自身が宇宙の中にいて、かつ自分の中に宇宙がある。しかもそれらはつながっている。…もう人間の認識を超えてるんです。」

おきょう「わかるようでわからないような心地の悪さが…。こういう話は何度してもすっきりしないんですよね。」

りょうさん「本当に人間の認識の限界を超えているからね。僕は今いちばん“人間が言語の動物である以上、因果関係でしかわかりようがない”というのを伝えたいとすごく思っていて。さっきの素粒子の話に戻ると、『シンクロニシティ』の中で、ある粒子が回転すると、まったく別のところにある粒子もそれと同時に回転するという話が紹介されているんです。例えば、ニューヨークの粒子が回転すると同時にロンドンにある粒子も回転する。これを言葉で理解しようとすると、“粒子Aが回転すると粒子Bが回転する”っていうふうに因果関係に捉えがちですが、実を言うとどっちが先に回転してるかはわからないんです。同時に回転してるので。ただ、人間の言語体系が因果関係でできているので、人間は因果関係でしか認識できない。おきょうちゃんが言ったような“大いなるものがいて私がいる”とか、“私が××だから○○が起こった“とか。

さっき、僕がクリアになったから、奇跡的なことが起こったって因果関係で表現しましたが、それも実は周りがクリアだから僕がクリアになったかもしれないんです。ただ、“私”っていうのは自分の言動しか扱えないように見えるから、自分が変わるしかない。自分が原因、源泉という立場で物事に関わるという表現がよくリーダーシップの文脈で使われるんですが、それは自分の「せい」だと思いなさいとか、自己責任だと思いなさいという意味ではないと僕は思っていて。どっちが原因でどっちが結果なのか実は全然わからないけれど、少なくとも人間は自分の言動しか扱えない。だから、真実かどうかは別として、自分が変わるしかないんです。仮に100%相手が悪いと見えていても、相手に“あんたが変わってくれないから”なんて言ったところで始まらないことの方が多いですよね。「他人と過去は変えられない」とよく言われますから。また、自分の言動を変えることで結果が変わったように見えるんですが、それも本当のところ、自分の「おかげ」で変ったかどうかはわからないんですよね。

因果関係を幅広く捉えるようにできるようになると、妙な気負いもないし、責任という言葉が自分のせいだっていうふうに聴こえなくなります。究極的には何が原因かはわからないけど自分の言動しか扱えないから自分を扱おうという責任感覚になるんです。」